日頃の仕事では、ものごとに関わる人たちをどのように増やしていこうか、そんなことを考えている。
2017年12月のテレビ「THE MANZAI」のSNSで話題になった漫才をきっかけに少し考えさせられた。その漫才はウーマンラッシュアワーによる、いわゆる社会的な問題を漫才のネタにするものだ。社会問題を漫才ネタにすることはそんなに目新しことではない。そもそも喜劇の大きな流れは社会の風刺だろう。ツービートもそうであったし、今なら爆笑問題やナイツもその部類に属すると思っている。じゃあ、なぜ今回の漫才が取り上げられているかと言えば、立場や意見を異にする人たちが顕在化している問題を取り扱ったことにあるのかと考えている。
ウーマンラッシュアワーの漫才についての記事
「漫才で沖縄の問題を扱ってもらうことで、問題をいろんな人たちに知ってもらうきっかけになるよね」
そんなことを言われて、少し首を傾げてしまった自分に「知っていること」について考えてしまった。
小さなころから漫才を楽しんできた。人生で何をしてきましたか?そんな質問があれば「漫才を見た」がトップランクに位置するだろう。面倒くさがりの私でも、「漫才を見る」はいつもしている。
で、「漫才で沖縄の問題を扱ってもらうことで、問題をいろんな人たちに知ってもらうきっかけになるよね」。
その言葉の数時間前にYouTubeに上がっているその漫才は見ていた。
で、感想は「鼻について笑えない」「見ている人を下にした姿勢で漫才して、見ている人は笑えるのか」。
で、もどって「漫才で沖縄の問題を扱ってもらうことで、問題をいろんな人たちに知ってもらうきっかけになるよね」。
社会の問題をいままでの伝え方でない方法で伝えることは有効な手段だなあ、そう思う。でも、自分の中で「自分は漫才を知っている」という気持ちが「首をかしげる」行動になったのだろう。日頃は、人が持つ変なこだわりを障害だと捉え、どのようにそれを乗り越えていくかを考えているのに。それなのに、出るんですよね。
話し合いを行う時には、何を目的とするかをしっかりとらえなければならないということです。つい、知っていることに心が動き、目的を見失ってしまわないように。
しかし、しかし、しかし、付け加えとして。
最近沖縄のお笑いの姿勢が気になっている。
スリムクラブや大自然に見られる。またこのことは沖縄で生活をしていると感じれることでもある。
「ツッコミがない」
「人を下げたくない」という意味のことを大自然の里龍之介さんがテレビで言っていたことが染み渡る。
漫才コンビ「大自然」
沖縄の文化があって、それをベースにした人との接し方がある。そしてその伝え方があるんだと思うんですよね。
「知っていること」へのこだわりはどうしても抜けない。