ブータンでのプロジェクトが2月から開始する予定になっています。そのため、ブータンについての勉強をしていますが、一人でするよりも公開で勉強した方が有益だと思い立ち、この場で行っていきます。
ブータンと言えば「幸せの国」というフレーズが成人日本人のほぼ100パーセントの口から出てきますが、実は「幸せの国」ではなく、「幸せを目指している国」だということがわかりました。実際幸福度ランキングなるものがあり、そこにいつも出てくる国はデンマークです。なのに目指している国の方が「幸せ」で認知されているという、なんとも不可解な状態です。
そんなブータンでの私の興味は、「GNH(Gross National Happiness)」と「ブランディング」です。そのあたりをプロジェクトが始まる前〜プロジェクト中で勉強していきたいと思います。

まずはブータンのGNHの発信拠点のような団体 GNH Center bhutan のHPからGNHを学んでいきます。今回は歴史を見ていきます。
出典:http://www.gnhcentrebhutan.org/what-is-gnh/history-of-gnh/(日本語訳は弊社)

  • ”GNHの考え方は4代目の国王(今は5代目)のジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下によって1970年代に出されました。陛下はその時すでに普及していたGDPの考え方に疑問を呈しました。GDPは本当に私たちの幸せと福祉を実現するのだろうかと。陛下はその時まだ10代でしたが、年齢以上の知性を持っていました。そこで陛下は「幸せ」こそがブータンにとっての指標であり、発展の証しになると確信しました。また陛下はブータンの目指すべき目標を決めるために、開かれた話し合いが必要だとも思いました。”

「幸せの国」というフレーズは最近のことかと思いましたが、1970年代にもうブータンは「幸せの国」のコンセプトを出していたんですね。であれば、なぜ最近になってそんなに有名になったのか?東北の大震災後に国王が来日してからなのか?ちょっとはっきりしませんが、突如ここまで広がったのはすごいですね。

  • 1629年の古い法典にはこんなことが記されています。”政府が国民の幸福を生み出せないのであれば、政府の存在意義はない”またその法典は次のことを強調しています。”ブータンの法律は、生きとし生けるものすべての幸福を追求しなければならない” 仏教国として慈悲の心を育むことは、古から続いていることです。中心にすえるべきは、単なる経済の発展ではなく、自然と調和した人間社会なのです。今日、多くの研究が示しているように、経済的な豊かさは人間の幸福に繋がっていかないということなのです。GNHが計るものは、大きな意味での発展なのです。そして人間社会の本当の発展は、物と心が互いに高まりあったときなのです。人間の「本当の豊かさ」とはなんであるか、そんな議論をする時にブータンの生活が一具体例だと、多くの人たちが考えています。

1616年くらいから今のブータン王国の形ができてきたそうです。その当時からチベット仏教が信仰されているのですから、上記のような文言は出てきてもおかしくないですね。その後、チベットが再三侵攻してきます。いまから考えると、チベットとブータンが武力行使するという信じられない構図ですが、これが現実のようです。

  • GNHと民主的な手法が言及されてから40年の歳月を経て、2008年に民主主義が導入されました。憲法9条により、ブータンはよりGNHの価値を包含的、継続的なものにしていきます。”国家はGNHを求めることができる環境作りに全力を尽くすべきもの”と政府の責任を明確にしています。その後時を経て、GNHは崇高な目標ではなく、数値化できる指標に進化していきました。この進化はGNHが世界的な注目を集めたことにより促進された一面もあります。今日、GNHは ”社会がもとめる物質、精神、心、文化の調和の取れた状態を目指す多角的な開発手法”として定義されています。キーワードはつまりは「調和のとれたバランス」。これは体と心が求めるもののバランスが取れた状態の時に成し遂げられるものなのでしょう。

今年(2018年)にブータンで選挙がありました。3回目になる選挙でした。与野党が入れ替わる激しい選挙になったようです。そのため、今回のプロジェクトで2回表敬訪問した農林大臣は変わってしましました。(何も変な影響がないことを望んでいます)

「幸せ」というなんとも漠然とした概念が、どのようにして「数値化できる指標」になったのでしょうか。そのためには、GNHとはいったいどんなものなか、さらに調べていかなければなりません。今回はここでおしまいとさせてもらいます。